Christian’s diary

生きづらさのあるクリスチャンの変な日記

正教会の聖体礼儀に参加しました。

最近の報告でいうと、

プロテスタント(現教会)に嫌気がさし、

正教会に足を運んだところです。

 

現教会の牧師の話が聞けません。

未信者や罪人の否定をするたびに苦しくなります。

否定されているように感じてしまいます。

 

牧師のことが嫌いなわけではなく、

多分合わないだけです。

いろんな教会に行ってみるのもいいかもしれないと思っています。

 

横浜のインターナショナルな教会にも行きました。

大学生くらいの方々が前列で飛び跳ねてました。すごい。若いって。

少し圧倒されてしまいましたが、

牧師に爽やかと軽さを感じました。

次の週は男女別に礼拝を行うとおっしゃっていたので、

イベント?も多いのだなと思いました。他キャンプなど。

私も若ければ所属したかったです。

 

正教会はというと、厳かな雰囲気で聖歌もお経のようなトーンです。

心に留まった歌詞は、

「勇機」「聖なる口付け」「この世のすべての働きから退け」

「主、憐れみよ」

大事にしている主張が違うなぁと感じます。

「主、憐れみよ」と何度も歌詞に出てきて、

その時は意味が分からなかったけど、

帰って調べたら「主よ、憐んでください」という意味で、なんか癒されました。

 

プロテスタントでは、主を賛美する歌詞が多いように思います。

「憐んでください」と求めてもいいんだな、と安心しました。

 

 

 

正教会の教えにはしっくりきます。

文久元年(1861年)、日本への伝道を決意した聖ニコライが函館にやってきました。その国の文化を否定せずに大いに受け入れてキリスト教の信仰を土着させるという正教会の伝統にのっとり、その当初から日本人のための日本人による正教会を目指していました。聖ニコライは日本の文化を学ぶため、日本語を習得し「古事記」や「日本書紀」などを読み、仏教を学び、日本の風俗習慣を研究しました。そしてすぐに日本語による奉神礼ができるように祈祷書を翻訳し始めました。

日本の文化を否定しないところが、優しいなと思います。

カトリックやプロテスタントの西方教会では、日本の文化・宗教を否定していました。

 

プロテスタントでは、罪人は犯罪者というイメージに対し、

正教会では、病にかかった患者として捉えます。優しいと思いました。

 

聖霊がどこから出るかに対しても、西方教会は父と子からに対し、

正教会は父のみからとします。

個人的には複数人から出ると言われるより、お一人からと言われたほうがしっくり来ました。

 

とにかくいろんなところに優しさと納得感を感じ。

他にも正教会について知りたいです。

ロシアについても知りたくて、

AIに正教会も学べるロシア文学と調べたらドストエフスキーと出てきました。

「罪と罰」キンドルで¥200だったので購入しましたが、

活字が読めない頭みたいで、なかなか読み進められません ガーン

Xでちょこちょこと情報を得ています。